饒舌・夏8

 
 
ふいに、会話が途切れた。新荷との会話が、こんなふうに途切れたことが今まであっただろうか。記憶にはないが、あったような気もする。戸惑い、俺は新荷へ目線を向けた。
夕日が窓から差し込んで、廊下側の壁を赤く染めていた。新荷はその中にあって、唯一の陰、柱を背に座っていた。彼女の両脇でカーテンが風にひるがえる。見透かしたようないつものにやにや笑いが、強いコントラストのさなかにあって、濃い影の中に沈んでいる。
「どうしたんだい、トワ君。そんな変な顔してさ」
立てた片膝に頬を埋め、皮肉に染めた表情で俺に問いかける。
「どうした、はこっちだ。急に黙ってどうしたんだ」
「ふん。語るに落ちる質問だね。そのままそっくり返させてもらうよ」
もう一度それを返そうか?
「黒ヤギ白ヤギじゃあるまいし、くだらない応酬をしててもつまらない。なんだい、今日は何か用事でもあるんだろうに、さっさと本題に入ったらどうだ」
本当に見透かしたようなやつだ。なぜそれを、と動揺してみせるのも癪なので努めて顔には出さないように口をへの字に曲げた。そうだ、今日はいつもどおりに新荷の饒舌を聞くだけではない、用事がある。その用事――『本題』は考えてきたが、実際のところまとまっているわけではない。考えながら、言葉を口に乗せる。
「聞きたいことがある。つまり、『今日は何日なんだ?』ってことで……いや、ちがうな」
俺は深呼吸を一回するくらいの間を取った。奇妙なことを言おうとしているのは自覚している。けれど、もう何度も、そう、『何度も』確認しようと思って、けれど避けてきたことだ。強い違和感が俺を支配していた。ただの違和感と言ってしまえばそれまでだが、しかし、『違和感に気をつけろ』とかつて言ったのは、ほかならぬ新荷だ。それに――いつか言わないと、ずっと、『終わらない』、そう気が付いた。俺は意を決した。遠回りなのは性に合わない。
「聞きたいのは、そう、……『今は、何回目なんだ?』」
 一瞬の間。失敗したか? と俺が思う直前に、新荷は忍び笑いを漏らした。
「……くっくっく」
こらえきれない、というようにうつむいて肩を震わせる新荷。
「ばれちゃったか、つまんない男だね。いや、いつかはそうなると思っていたけどさ」
あーあ、と両腕を『お手上げ』の様に挙げて、新荷は上を見上げた。口元に浮かぶのは、いつもどおりの、笑みだ。
「どうして気が付いたのかな。今の時間が『嘘の時間』だって」
顔を下ろし、俺を正面から見て、新荷は問うた。今日の昼飯がなんだったか問うような気楽さだ。ならば俺も同じ調子で返すしかない。俺は肩をすくめる。
「さてね、違和感はずっとあったんだ。でも一番は、そう、『お前の話を聞いたことがある気がしてならない』って思ったからだ。デジャヴとかいうんだっけ? はは、それすらもお前に聞いた単語な気がするよ。とにかくさ、『覚えがあった』、ってことに尽きる。『覚えてない』『知らない』のに『覚えている』って感覚だ。それも、何度もだ。実際のところ証拠なんかない、単なる感覚だけどな」
「ふん、証拠がない、なんて言われたら、じゃあ証拠を出しなよ、って言いたくなっちゃうじゃない。よくある探偵ものの犯人役の言いそうなせりふじゃないか。トワ君に犯人役にしたてられるのも癪な話だけど。だけど、まさか気づき方まであの小説と同じとはね。いいよ、例の小説に敬意を評して、犯人である私は潔く自白しよう、そう、『私だ、私が犯人だよ』『今日という一日を、何度も繰り返し、巻き戻していたのは、私だ』『私が全てやりました』ゴメンナサイ、なんてね」
両手を広げ、おどけたように肩をすくめて、新荷は言った。にやにや笑いも、大仰な仕草も、面白がるような目つきも、いつもどおりの、新荷だった。
「よくぞたどり着いた、名探偵トワ君。いつぞやはワトソンだった君がまさかのシャーロックになるとはね。語り部から主役への大出世だよ、おめでとう。くっくっく。さて、それで私は、次は何を『白状』したらいいのかな?」
 あくまでも楽しむように、挑戦的に口の端を釣り上げて、新荷は俺に問うた。そして俺が口ごもるのを見て、あっさりと問いを捨てて言葉を続ける。
「そういや、最初の質問にまだ答えていなかったね。『何回目か』ってことだけど、すまないね、いちいち数えてやしなかった。だから数で答えることはできないけれど、期間でなら答えられる。そう、ざっと考えて、だいたい五年くらい今日を繰り返したことになるのかな」
「五年………!?」
指を折りながら、何でもない感じで答える新荷。俺はその単語の衝撃のあまり言葉に詰まる。そして何百年かと思えるような沈黙が降りた。俺は新荷の言葉を理解することができなかった。『大体五年』って、日数に換算するなら……
――何百回か、いや何千回か。気の遠くなるくらいの『今日』の繰り返しを、こいつは、たった一人で続けていたっていうことなのか……? 想像できない。ただ、想像できないということだけが事実としてのしかかってきた。俺は喘ぐように言葉をつないだ。
「なんで、なんでこんなことを」
「なんで、だって? ずいぶんとつまらないことを聞くじゃないか」
 口の端を上げ、にやにや笑いのまま、新荷は鼻で笑った。
「それは当然、私が饒舌だからだ。しゃべっていたかったからだ。まだまだ饒舌はしゃべり足りない。そのために聞き手が必要だったのさ。そして、そう、ループ物は、夏が相場と大昔から決まっているのさ。筒井もラムちゃんもヒューマノイドインターフェースも惨劇の共演者も赤い目の彼らだって、みんな、回るのは夏だ。回すのは夏だ。夏休みで、真夏日で、うだるように暑い暑い、ラベンダーの香りのまとわりつくような、そしてカゲロウの出るような蝉のうるさい真昼中だ」
「だが、それはお前だけじゃないか。俺はそんなこと知らなかった。覚えてなかった。ってことは新荷、お前が繰り返す間、俺は毎回毎回、振出しに戻ってたってことだろ。お前、全部忘れた聞き手に向かってしゃべって、なにが楽しいって言うんだよ。俺は嫌だぞ、お前の話、全部覚えてないなんて。俺が忘れるのは仕方ないが、お前に忘れさせられるのは……」
次の言葉に瞬時迷って、しかし迷ったことは気づかれたくなくて、呼吸を置いてごまかしてから、「癪だ」と吐き捨てた。新荷はそんな俺の矜持なんかまったく意にも留めず、笑う。
「くっくっく、頑是ないことを言うじゃないか。しかし、それも君は憶えちゃいないのだ。忘れたことも忘れる。何が問題だい?」
「大有りだ! 繰り返しなんかなくたって、俺は明日もここに来るぞ。それが信用できないってのか。お前のくだらない饒舌を聞きに、何回でも、毎日でも嫌ってほど来てやるぞ!」
「だが君はいつか私を置いていく」
 ほとんど激昂しかけた俺の言葉を、新荷は変わらぬ声量で即座に切り返した。にやにや笑いを貼りつかせたまま。冷たい目だった。ただ、当然の事実を頑是ない幼子に教え諭すような、むしろごく優しい口調だった。
「ここは学校だ。君はいつか、卒業しなくてはならない。アイドルがマイクを置くよりもはっきりと、卒業という日はもう決まっている。フツーの大学生に、社会人に、なる日がくる。そして私はがっこうおばけだ。学校そのものだ。私は――君に置いていかれる。君は私を置いて去るんだ。当たり前のことだ。当然私も分かっている。――だけどね、トワ君」
 皮肉に口の端をゆがませて、独り言のように遠い目をして、新荷は言った。
「つい、思ってしまったのさ。読んでる小説の残りページが少なくなって、いつか読み終わるその時が来るのが、怖かったんだ。だから、ほんの少しの間読み返してみたかった。読み返すのは同じシーンで構わなかった。そうして、クライマックスから逃げたのさ。つまり、動機を説明するなら、孤独の時間を遠ざけて、独りになる日を先延ばしにして、ただ待つ日々から逃げたかった。ただそれだけだよ」
 そこまで言って、新荷は肩を竦め、
「とはいえ、読み返すのも、これでお仕舞いだね。物語の方から急かされちゃ、読者としては続きを読むしかない。トワ君に気づかれたらその時点で終演だ。まあ、楽しかったよ。どうせ意味をなさない雑談だ。物語の進行には、一切関係ない幕間劇さ。トワ君が覚えていようといまいと、幕間を続ける分には、支障はなかったからね。だから、君の質問に対する答えは、『君といることそれ自体が』、だ。ふふふっ、お笑いだね。まるでアイのコクハクじゃないか。アイはアイでも、親愛のアイだけど、日本じゃなかなかそうはとってもらえないのが難点だね。それはともかく、まあ、謝るべきは謝ろう。勝手に演者にして悪かったね。この借りは、きっといつか返すから許せ。じゃあ、お疲れ様。さ、帰った帰った」
 立て板に流す水とはよく言ったもので、新荷は一気にそれだけ言うと、教室のドアをピッと指さした。するとそれまで閉じていた教室のドアが、勝手にがらりと音を立てて開いた。ぎょっとした。だが、新荷がやったのだ、とすぐにわかった。
 こういった、あからさまな行動を、考えてみれば新荷がするのを見たことは無い。しかし、時間を巻き戻す、なんて荒業をいともたやすく行うのだ。学校の備品を動かすことぐらい、何ということもないのだろう。その証拠に、そのドアを開くときも、指をピッと動かすという芝居っ気のあるしぐさをしている。大仰とケレンミをして良しとする新荷らしい振る舞いだ。そして、今まで見せなかったこの能力をこの場面で見せつけてくることの意味もまた、俺にのしかかってきた。俺はその重みに負けて、つい茶化してしまう。
「……今度こそ本当に帰れるんだろうな」
「あはっ、見破られた手品を続けるほど野暮なことはないよ。そんなことするもんか。そんなに心配なら、送って行ってやろうか?」
 愉快気に、ことさらけたけたと笑いながら可笑しそうに言う新荷に、俺は気まずい思いで目をそらした。
「いや、すまん。悪い冗談だった、忘れてくれ」
「忘れるのはトワ君だけで十分さ。さあ、とっとと帰りたまえ。ぐずぐずしてたら私の気が変わって、また捕まえるぞ?」
 悪い冗談で返された。本当にかなわない。
「……じゃあな、新荷。また明日だ」
 俺は新荷を正面から見て、念を押した。
「――わかった。明日、待っているよ、トワ君」
 新荷は俺を見返して、いつものにやにや笑いで手を振った。

 教室を出れば、いつも通りの夏の夕暮れだった。昨日と変わらない――繰り返した前回の今日ではなく、俺の体感上の昨日だ――日差しと蝉の声。俺はありもしない疲労感に襲われながら、ただ黙って廊下を歩いた。
 そうか、と俺は妙に納得した。新荷は、本当に純粋に、ただ誰かと話をしたかっただけなのだ。本来の新荷がもともと持つ性質なのか、それとも学校おばけとしての孤独がそうさせたのかは分からない。けれど、新荷は本当にただ饒舌の相手を渇望していたということなのだろう。大仰で芝居じみた演出の大好きな新荷が、自身の正体を俺にばらしたあの事件の後でさえ、おばけとしての側面を俺に見せることはなかった、というのがその証拠だ。ポルターガイストも空中浮遊も火の玉も、なんにもしなかった。俺と話すだけのために、おばけの能力なんか必要なかったのだ。むしろ、ただ対等の『学生』として俺と接することで、俺におばけだと意識させまいとしていたのだ。けれどその新荷が、時間の巻き戻しなんて横紙破りをせずにはいられないほどに、どうしようもなく、孤独を怖れていたのだろう。
 その相手として俺が選ばれた、とうぬぼれるつもりはない。ただ単にたまたまそこにいただけの俺に、たまたま新荷の姿が見えただけの俺に、そこまでの自尊はできない。だけど、せっかく選ばれたのだから、とことん付き合ってやるしかないな、と、俺は心の底から思ったのだった。
 なにしろ、俺は、新荷の饒舌が、……そんなに嫌いじゃないのだから。


短いお話  長いつぶやき 饒舌部屋 トップへ

そして、物語は「新荷冬芽の独り事」へ……

inserted by FC2 system